カテゴリ: 歴史

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    1: 名無しさん@おーぷん 22/06/06(月) 03:40:25 ID:55kG
    猛 毒 太 子

    引用元: https://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1654454425/ 【聖徳太子「このキノコ食べれる?いけそう?大丈夫?…ヴヴアッッッ!!!!!」】の続きを読む

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    1: 名無しさん@おーぷん 22/06/22(水) 04:39:59 ID:rfLo
    郷中教育においては、とんでもないスパルタ教育が行われていました。
    それに加えて薩摩隼人には、極度の女性忌避がありました。『薩藩士風考』にはこうあります。

    路上女子ニ逢ハバ穢ノ身ニ及バンコトヲ恐レテ途ヲ避ケテ通ル
    「道を歩いていて女性に会っただけで、女性は穢れているからと避けて通っていた」と言っているのです。

    では、そんな女性を少しでも見てしまうとどうなるか? 平戸藩の9代藩主・松浦静山の『甲子夜話』には「道ですれ違った女性を少しでも盗み見ただけで、自殺を強要された」とあります。
    そして、それに同情しただけでも、その者を夜中に首の骨を折って殺したとか……。そうなるとどういうことが起こるのか? 『甲子夜話』にはこうあります。

    婦女を禁ずるは斯くの如ごとしといえども、男色を求め、美少年を随伴し、殆ど主人の如し

    スパルタ教育に加えて、極端に女性を忌避するのですから、
    その性のはけ口は、男色に向けられるのは当然でしょう。
    しかも、極度の女性忌避になれば、それは平安時代にお坊さんたちが稚児を神格化させた「稚児信仰」と同様になることも、また然りであるわけです。
    だからこそ薩摩隼人たちは、美少年をご主人様であるかのように敬ったのだと言えます。
    それはさらにエスカレートしたようで、『薩摩見聞記』にはこうあります。

    昔時此風の盛んこれなるや、美少年を呼ぶに稚児様を以てし、
    其出る時は或は美しき振袖を着し数多の兵児二才之を護衛し傍よりは傘をさし掛け、夜は其門に立て寝ずの番を為す者あるに至る
    もうここまでくれば、これは新たな薩摩隼人たちによる稚児信仰であると断言しても差し支えないでしょう。
    薩摩の男色は、郷中教育でのストイックな環境と、女性蔑視と言っても過言ではない女性忌避思想から生まれたのです。

    引用元: https://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1655840399/ 【薩摩藩士、おんJ民だった】の続きを読む

    1: 名無しさん@おーぷん 22/05/26(木) 22:07:43 ID:pH2z
    父「詳細キボンヌ」
    母「今日はカレーですが何か?」
    兄「カレーキタ――――――」
    妹「キタ――――――」
    姉「カレーごときで騒ぐ奴は逝ってヨシ」
    母「オマエモナー」
    父 -------終了------
    兄 -------再開------

    引用元: https://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1653570463/ 【母「おい、おまいら夕食ができますた!リビングに集合しる!!」】の続きを読む

    1: 名無しさん@おーぷん 22/05/29(日) 13:14:38 ID:DjwV

    引用元: https://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1653797678/ 【地質学者「ジェラ紀、カラブリアン紀、千葉紀」ワイ「は?」地質学者「千葉紀」】の続きを読む

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